病 牀 六 尺 子規 より

〇左千夫いう柿本人麻呂は必ず肥えたる人にてありしならん。その歌の大きくして逼らぬ処を見るに決して神経的痩せギスの作とは思われずと。節曰う余は人麻呂は必ず痩せたる人にてありしならんと思う。その歌の悲壮なるを見て知るべしと。けだし左千夫は肥えたる人にして節は痩せたる人なり。他人のことも善き事は自分の身に引き比べて同じ様に思いなすこと人の常なりと覚ゆ。かく言い争える内左千夫はなお自説を主張して必ずその肥えたる由を言えるに対して、節は人麻呂は痩せたる人に相違なけれどもその骨格に至りては強く逞しき人ならんと思うなりと云う。余はこれを聞きて思わず失笑せり。けだし節は肉落ち身痩せたりといえども毎日サンダウの唖鈴を振りて勉めて運動をなすがためにその骨格は発達して腕力は普通の人に勝りて強しとなん。さればにや人麻呂をもまたこの如き人ならんと己れに引き合せて想像したるなるべし。人間はどこ迄も自己を標準として他に及ぼすものか。