納豆が体にいい

たとえば「納豆が体にいい」という命題を検証するとして

納豆とはなにかを定める必要がある
簡単ではない
限りなくできそこないの納豆があり、連続的である
体にいいというのがまた定義しにくい
水子供養はいいことだ
というのも検証は難しい
何をすれば水子供養したことになるのか
定義が難しい
その結果何がいいのか、その定義も難しい
「内科で原因不明の吐き気がある人で、三親等以内で堕胎の経験のある人は水子供養をしなさい」
という話になったとして
該当する人を100にん集めて50人には水子供養の話をして
50人には話をしないとして
吐き気がおさまるかどうか見るのだけれど
「水子供養の話」というのはどの範囲のことなのか
「なにか話す」と「なにも話さない」ならば比較できるが
「水子の話」と「水子でない話」を比較してもあまり生産的ではないのだ
パフィみたいに口パクをして比較対照するというのも楽しい
だからたぶん水子供養と先祖供養が比較対照されると思う
子孫の供養と先祖の供養だからなんとなくうまく対応している
納豆で言えば納豆菌の数とかナットウキナーゼの含有量とかで話ができるのかもしれない
たとえば精神科医Aが精神療法Bを患者Cの疾患Dに対して行ったとして
その構造を精神科医Xに置き換え精神療法B・・・・
さらに精神科医Xで精神療法Y・・・・
大変面倒なので諦めたい
好きだから納豆を食べている