躁うつとうつ

躁うつとうつ

原稿を作る必要があり、まず、あちこちから採録

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欝というと何かとSSRIが処方され、その結果躁転して、医原性の「双極2型気分障害」になってこじれたケースの多さです

SSRIにせよ、三環系、四環系にせよ、「抗うつ薬」がふさわしい群と、抗てんかん薬系の「気分スタビライザー」がふさわしい群に分かれます

患者さん鬱状態になった時にしか来院しないので、いよいよ鑑別は難しくなり

躁極Ⅱ型が増えたのではなく、今まで医師が見過ごしてきただけ

抗鬱剤から、デパケン、ラミクタール等の抗てんかん薬系「気分スタピライザー」系を中心とする投与に切り替えるよって気分の波はかなりの程度収まります

ライフスタイルも変化しないと。「燃えて」生きるのではなく、もっとクールに生きられる余裕が形成されないと再発します

双極2型の人は、躁方向に+1とか+2の時をプラスマイナス0だと勘違いして生きています。このへんの「自己モニタリング」に練れてもらう必要があります

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 うつ病の「うつ状態」は、「さみしさやもの悲しさが中心にあり、何かしたいと思っいても、実際に行動に移せないのが特徴」です。

 統合失調症のそれは、「さみしさやもの悲しさはありません。意欲が減退して無気力になり、何かしたいと思う気持ち自体がなくなります。」

 うつ病と統合失調症が混合している場合もあり、その鑑別は難しい場合もあるようです。

→これなどは、内容診断になっている。構造診断になっていない。

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躁うつ病とつきあうために
• 医学的な治療を十分にうける
• 自分の今の気分の状態をよく知る
• 治療目標の設定を明確にする
• 生活のリズムを整える
• ストレスとの付き合い方を学ぶ
• 治療の仕上げにリハビリを

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躁うつ病の治療

気づくことが第一歩
一生のうち100人に2~4人が発症
うつ病と思われていた10人に1人が躁うつ病と判明
躁・うつの波をどうやってコントロールするか
最大の治療目標
(うつ病は、うつを良くすることが、治療目標)

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うつ病相の治療
• クエチアピン
• リチウム(8週間は経過観察)
• オランザピン
• ラモトリギン
• リチウムとラモトリギンの併用
推奨されない治療
三環系抗うつ薬の使用
抗うつ薬の単剤治療など

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うつ病の診断においては、軽躁と鬱を繰り返す双極II型障害を単極性・反復性と誤診するなど、双極性障害と見分けがつきにくいケースが多い。患者側も、睡眠時間が短くてもすんでしまうなど現代の過酷な社会環境にむしろ適応的であり、ばりばりと働けたなどの充実感などのため、軽躁状態を異常と認識せず、主治医に申告しないこともある。
そのため、大うつ病性障害など「うつ病として」受診に来た患者を診断する場合、初診で躁病エピソードの既往症(軽躁エピソードは特に)を確認し、双極性障害でないかどうか明確に鑑別しておくことが何よりも重要であるとの指摘がある。これは、大うつ病性障害などの単極性の気分障害と双極性障害は、治療法が根本的に異なるためである。
また、長期経過の中で、うつ状態に加えて躁状態も生じる場合にも、双極性障害(いわゆる躁うつ病)の可能性がある。そのため、躁状態に転じることを常に注意し、素早く対応することが必要であるとも指摘されている。
うつ病を繰り返し生じる場合には、反復性うつ病と呼ばれており、これも、遺伝研究などによって、躁うつ病と根本的には同一の疾患であるとされている。
一方、再発のないうつ病は、単一エピソードうつ病と呼ばれ、躁うつ病とは異なった疾患であると考えられている。

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うつ病の落ち込みと普通の落ち込みはどこが違うか

なかなか回復しない・・・2週間以上

何事にも興味が持てず楽しくない

ほとんど毎日気分が沈む

2週間・・・・朝青龍「あと3日でうつ病になってしまう!」

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対人関係療法 ネットワークの修復 
ネットワークが回復すれば自動回復パッチプログラムがインストールされ

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循環するのではなくて
レベルダウンしている

抑制が外れる
順次外れる
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国際的には効果が確認されている治療法
というのだが

自分たちのやっていることを検証していない
日本語で何をしているのか

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上がってしまう と考え易いが 実は 抑制部分が壊れている

薬は 何かを上につくるのではない 最上位部分を壊している

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子供って 躁状態
子供の生活を分析

躁状態に枠をはめて最大能率を引き出す

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躁状態、うつ状態、強迫性状態

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社会リズム療法
いつくかのリズム
どのリズムから整えていけばよいか

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うつ病と躁うつ病の根本的な鑑別は長期経過である
ところがDSMは経過診断を拒否している

現在見られる症状のセットだけで診断できないかトライするのがDSMである
だからDSM主義で
うつ病と躁うつ病を鑑別しろというのが矛盾である

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適応拡大ではなくて
疾患区別解体である

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BPⅡがBPⅠとまったく違う疾患である
という言い方は連続体仮説を否定している

観音様と菩薩様とお地蔵様と違うと言い張るようで
もともとないちがいをちがうと言いはっても
仕方がない

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BPの人に抗鬱剤を使うと躁転のきっかけとなってしまうのでだめ
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アスキカルはまず、従来『抑うつ神経症』ないし『神経症うつ病』と呼ばれてきた慢性の抑うつを示す疾患に、双極性の気分変動を示す群を見出した。
 この病態は、その名が示すように、従来、内因性ではなく、神経症性、あるいは性格的な要因の強いものとされてきた。

 アスキカルはそこに内因性の変動を認め、REM睡眠などの生理的な指標も内因性気分障害の病態と同じ傾向を示すと報告した」

→これは当然

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、「躁」と「軽躁」とは単に量の違いではなくて、質の違いでもある

「躁」と「軽躁」の質的な鑑別指標のひとつとして内海氏が掲げるのは、観念や思考の「転導性」=「移ろいやすさ」

 躁状態の場合、「観念放逸」と呼ばれる、話や行動が前後の脈絡が全然ない飛び方をする。そこには生産的なものは何もない。

 ところが、軽躁状態では、転導性は必ずしも明確ではない。軽躁状態でも微細な観念放逸や転導性がある場合もあるとクレペリンが観察してることを内海氏は否定はしないものの、軽躁を躁から区別する、より実践的なポイントとして、

「まとまった作業を遂行できること」

を掲げている。

 「場合によっては、注意が散乱するどころか、むしろしつこいと思われるくらいに、ひとつのことに執着する場合もある。

 他方、躁状態で成功することはほとんどあり得ない。(中略)軽躁では、場合によってはある一定の成果をもたらすことがある」(pp.41-2)

「この事例で見られるように、軽躁では観念放逸に代表されるような、転導性はみられない。もしあったら、相手をひきつけるような「魅力的で委曲に富んだ企画書」など書けるべくもないし、計画を遂行していく粘り強さなどは求めるべくもない」

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、本人にとっては軽躁こそいい状態、理想状態ですらあるという感じ方のことを、内海先生は、「軽躁とは、自我違和的ではない」と表現している

 軽躁状態の指標のびとつは、その軽躁のさなかにあっては、本人にとってはそれが「普通で順調な状態」と認識されつつも、周囲の人から見ると、やや「多弁で元気がよ過ぎ」かな?・・・というふうに感じられる形で、自他の実感の間にギャップが生じる状態だということ

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軽躁と躁状態を厳密に区別することは
薬剤選択としては必要がない

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 「双極II型障害では、ある程度踏み込んだ精神療法が必要である。(中略)

 彼ら彼女らは、「支持的[supportive]」といわれる対応では物足りないと感じる。(中略)通常この類型の人たちは強い刺激を必要としている、通り一遍の対応では彼ら彼女らにとって隔靴掻痒[=かゆい所に手が届かない]のごとくとなる。(中略)

 より積極的な見方をするなら、BPII[双極性II型]に対しては、精神療法は実質的な効果を持ちうる。

 俗に「うつ病者は病気から学ばない」という。ひとたび回復すれば、何ごともなかったかのように、現実に戻って行く。それゆえ、同じところで躓き、再発を繰り返す事例もある」(pp.154-6)

 よく、鬱に関して、「それまでとは生き方を変えましょう」的な啓発運動が成される傾向があるが、これは古典的なメランコリー型単極性うつ病の人たちに対しては大事なメッセージかもしれない。

 つまり、ひとつには、今述べられていたように、古典的な鬱の人は、ひとたび回復すると、以前と同じライフスタイルに立ち戻り、再発する場合も少なくないことに歯止めをかけるという意味で必要かもしれないということである。

 もうひとつには、古典的な鬱の人は、組織や権威や集団のもたらす価値観への安定的な帰順意識も強いので、こうした呼びかけを「押し付けられた」ものとは感じにくい可能性もあろう。

 (ところが、双極性2型の人だと、もともと変化に富んだスリリングな人生を歩んできた人が多いので「何を今更!」と思うか、あるいはもう一度軽躁的チャレンジをはじめるという形で「誤解する」きっかけになるか、それとも、他人や権威から「変われ!」といわれることに反発するかのいずれかになる可能性が高いと思う。このあたりの話題は第4回で書くつもりである)


 そして内海氏は、古典的なうつ病域の人が経験から学ばないのと比べる形で、次のように締めくくっている:

 「BPII[双極2型]では、罹病中に経験したことは、よきにつけ、あしきにつけ、その後にも刻印される。

 実際、精神療法の効果は、回復後にも持続しているし、回復後も精神療法は有効である。」(p.156

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スイスのオイゲン・ブロイラーという精神病理学者(精神分裂病=統合失調症という疾病概念の提唱者。フロイトの初期の擁護者としても著名)が、統合失調症の人と躁うつ病(単なるううつ病ではありません)の人の病前性格を比較するために、前者を「分裂性性格」、後者を「同調性格」としてとらえることを提唱しました。

 ここでいう躁うつ病の病前性格としての「同調性」というのは、世間一般で言う「協調性」ということと一見似ていますが、実はもう少し厳密な定義がなされています(このへんがあいまいなまま人口に膾炙し、一般的な解説がネット上でも流布しているようですので用心してください)。

 ここでいう「同調性」というのは、単に周囲に溶け込むだとか、「場の空気を壊さない」(今風に言えば”KY”ではない)ということではないようです。

 この種の言い方って、暗に、社会性を確立するための、単なる「処世術」として、あるいは対人スキルとして「身につけて」しまえる筈のもの・・・・という含蓄がある気がします。

 しかし、ブロイラーの発想を更に深化・発展させた、フランスのミンコフスキーという精神病理学者は、この、鬱病者における「同調性」について、著書「精神分裂病―分裂性性格者及び精神分裂病者の精神病理学」の中で、次のように述べていることを内海先生は紹介しています。

 「ミンコフスキーによれば、分裂性と同調性は単なる性格標識ではなく、むしろ個々の特徴の間隙に位置して、それぞれの特徴に独特の色彩を与え、環界に対する個々の態度を規定するものである」(p.130)

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 うつ病になりやすい人は、周囲の人が何を感じていて、何を求めているのかを「察する」共感的センサーが敏感であり、しかもそのセンサーの精度は、その人が健康度が高いうちには驚くほど的確で、分裂質の人のような「思い込みの暴走」「関係念慮」には容易には陥らない。自分と関わる相手との適切な距離感を保ちながらも、その場その場にふさわしい「気配り」を実際に行動として取って行くことが実に上手である(内海氏の著作のp.139参照)。

 この「気配り上手」のことを、この内海氏の著作では「他者配慮」ないし「対他配慮」という言葉で表現していることが実に多いことは、この本をお読みの読者の参考になるかもしれない。

 鬱になりやすい人持つ「同調性」とは、単に周囲に迎合するなどという浅薄な次元で「協調性」のことではなく、このような、敏感なセンサーに基づく細やかな対人配慮のことを指すことを改めて強調しておきたい。

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古典的な「メランコリー型」うつ病は、実は第2次大戦敗戦国である日本と「西ドイツ(!)」において、戦後の復興を経て高度経済成長期に入るという、固有の経済発展様式を取らざるをえなかったために、結果的に、1970年代まで、他の欧米諸国よりも「遅延されて」残存した、実は「オールド・タイプ」のうつ病のあり方であるに過ぎず、現在ではこれらの国でも、主として中年以降の世代にのみ残存している病態であるに過ぎないのではないか?

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 今日、鬱は昔よりも「軽症化」しつつあると言われているのに、実際には、昔の鬱病の患者さんの方が、きちんとした服薬や休養生活(場合によっては入院)を経れば、長くても数ヶ月以内に社会復帰できる人がずっと多かったということを、さまざまな精神科医の先生が指摘している。

 鬱になる人の病態のマジョリティー(多数派)自体が、時代と共に変質してきている可能性を多くの専門家が認め、「新型うつ病」「非定型うつ病」などという言葉が繰り返しマスコミに載るにも関わらず、古典的な「メランコリー型」うつ病ではない人たち(本書で取り上げられている「双極性2型」以外にも、「気分変調性障害」「双極スペクトラム障害」などと診断される方たちを含む)に対する少なからぬ医者の取り上げ方は、どこかしら「近頃の若い者は・・・・」的なノリで、そうした人たちの「性格の問題」という言い方が安易に振り回される傾向があるように思えてならない。

 しかし、それは実は根本的な認識不足なのではないか?

 結局、医者の側が時代の変遷についていけていないことの「逃げ口上」ではないのか?

そうした問題提起をする上で、この著作以上に強力な著作は、刊行3年めにして、まだ現れていないように思われてきたのである。 
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 「飯田真によるメランコリー親和型性格の発達史論は、特筆すべきものであったように思う。

 以下にその要諦を示す:

依存欲求の強い個体があり、依存対象への希求が何らかの形で挫折する。
対象は断念される一方で、幻想的な一体化願望が形成される。
代償として、強迫的な性格防衛が形成される。
権威的な人物や価値観が対象として選択され、権威が超自我として内面化される。
権威からの期待に応えるべく、勤勉の論理が発動される。結果的に、個体は社会的な自立を達成する。
権威へのひそかな依存が獲得される」(p.199)
 「こうした性格が形成される条件がある。すでに指摘したことだが、戦後の一時期、日本と西ドイツという、歴史的、地誌的に限定された中で、こうした類型が析出したのである」(p.202)

 ・・・・・内海氏がここで飯田真先生の論文から引用している「依存欲求」というのが、実は先日お亡くなりの土居健郎先生が言われた、本来の意味での『甘え』の問題に他ならないことをお察しの、読者の方もおられることかと思う。
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躁鬱混合状態の問題
→なぜおこるのか、なぜ可能なのか

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1.おさらい
2.提案

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おさらい
単極性ならば抗鬱剤
双極性ならば気分安定剤

単極性と双極性をどうやって区別するのか
→経過で見るのが正しいのだが、それ以外の、現在区別できる基準が欲しい
→双極Ⅱ型のうつの特徴
不全感、易変性、部分性
不全性・・症状が出揃わない
易変性・・変動しやすい
部分性・・出現に場面依存性がある

パニック、人格障害、Alcohol、薬物依存など併存症が起こりやすい

躁鬱混合状態が起こりやすい

2011-06-25-2