双極性障害と境界性人格障害の鑑別と共存

双極性障害と境界性人格障害の鑑別と共存 [編集]
「精神科治療学」という雑誌の2005年11月号に,自治医科大学の阿部隆明先生と加藤敏先生が書かれた「双極性障害と境界性人格障害の鑑別と共存」という論文。

まずは抄録を以下に引用。

「近年,境界性人格障害と双極性障害の鑑別が重要視される背景には,操作的診断に基づいた境界性人格障害の安易な診断と,境界性人格障害様症状を呈する双極性障害の増加がある。
とはいえ,境界性人格障害の診断基準に掲げられたほとんどの症状は感情障害でも観察されるために,両者の鑑別と共存が問題になる。
とりわけ,双極Ⅱ型障害のうつ病相や気分循環性気質などの微細な躁的因子を内包する病態で,境界性人格障害様の症状は出現しやすい。
この場合は,同一性の障害や特有の防衛機制の有無などに注意を払い,境界性人格障害と鑑別して気分安定薬中心の処方をする必要がある。
他方,境界性人格障害に双極性障害が合併するケースでは,境界性人格障害の人格病理を踏まえた精神療法的な対応に加え,同時に存在する双極性障害にも目配りし,薬物療法的な配慮を忘れてはならない」

双極性障害(躁うつ病,躁鬱病)の経過中に境界性人格障害を思わせるような症状が出現することがしばしばあるので診断には慎重にならなければならない。
一方で,双極性障害と境界性人格障害がそれぞれ独立した疾患として同じ患者さんに併存することもあるので,その場合は両者のバランスを考えた治療が必要になります。

以下に,この論文の本文をできるだけわかりやすく要約してみましょう。

論文の前半はスキップ。

Ⅲ.境界性人格障害の診断基準にみられる「感情障害」の要素

感情障害とはうつ病や双極性障害の総称です。
この項で筆者は,DSM-IV-TRの境界性人格障害の診断基準を取り上げ,感情障害との関連を論じています。

(1) 「現実に,または想像の中で見捨てられることを避けようとするなにふりかまわない努力」→軽うつ状態で依存性が目立つようになったうつ病症例でも認められる。

(2) 「『理想化』と『こきおろし』の両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる不安定で激しい対人関係の様式」→軽躁状態ないし混合状態でも認められる。

(3) 「同一性障害」→躁とうつの転換が頻回な症例では,「本来の自分がわからない」と自己像が不安定になることがある。

(4) 「自己を傷つける可能性のある衝動性で,少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費,性行為,物質乱用,無謀な運転,むちゃ食い)」→いずれも軽躁状態や双極Ⅱ型障害のうつ病相でよく認められる。

(5) 「自殺の行動,そぶり,おどし,または自傷行為の繰り返し」→もちろんうつ病でも認められる。

(6) 「顕著な気分反応性による感情不安定性」→混合状態でも認められる。

(7) 「慢性的な空虚感」→慢性経過をたどるうつ状態や気分変調性障害でも認められる。

(8) 「不適切で激しい怒り,または怒りの制御の困難」→軽躁状態,混合状態でも認められる。

(9) 「一過性のストレス関連性の妄想様観念,または重篤な解離症状」→うつ病相でも認められる。

(1)~(9)のうち5つが認められれば境界性人格障害と診断されることになっているが,ここに示したように,軽躁状態や混合状態を呈していればこの基準を満たしてしまうことは十分ありうる。

双極性障害と境界性人格障害の症状が同時に現れる場合は,双極性障害の診断が優先されるべきである。

Ⅳ-1.境界性人格障害と誤診される双極性障害

よく問題になるのは,手首自傷や大量服薬による頻回の自殺企図に及ぶ双極性障害の症例。
入院させてみるとむしろ軽躁的な面も目立ち,病棟内で逸脱行動を呈することも少なくない。

治療者の些細な言動に対し「見捨てられた」と思い込み,行動化に至る。
治療者はどうしても表面上の問題行動に目を奪われがちで,背景にある微細な気分変動を見逃すことになりやすい。
人格の問題として突き放したり,(境界性人格障害の治療に準じて)厳格な限界設定を試みて治療関係がさらに悪化することもしばしばである。

患者さん本人も躁やうつのために自分の本来の性格や生活史について正しい評価ができず,「本来の自分がわからない」といった(境界性人格障害の診断基準のひとつである)同一性の障害を疑わせる発言をする。
治療者に対する患者の態度は気分の変動に左右されてくるくる変わることがあり,「理想化をこきおろし」というこれまた境界性人格障害の診断基準を満たすことになる。
こうして,衝動制御の障害,感情不安定性,同一性の障害,対人関係の障害といった境界性人格障害の診断項目が揃ってしまう。

ここで機械的に境界性人格障害の診断を下し,告知をすると,患者が絶望し,本来の双極性障害の経過に悪影響を及ぼすことになりかねない。
しかし詳細に病歴を聴取してみると,幼少期の発達や人間関係は問題なく,学校や職場でもそれなりに評価されていることが少なくない。
こうした,家族や職場での評価が,(人格障害ではなく双極性障害の)診断を下す決め手となる。

このような病像を呈しやすいのは双極Ⅱ型障害である。
治療者は,うつ病や躁うつ病の症状の出現様式が境界性人格障害の臨床特徴と重なる部分が多いことを認識しておくべきである。

また薬物の選択も重要である。
双極性障害の患者を人格障害と誤診した場合,抑うつ症状や衝動性を人格障害の症状と解釈してSSRIを中心とした抗うつ薬が使用されるが,このことで混合状態や急速交代化が起こり,より問題が複雑化することがある。

Ⅳ-2.双極性障害と誤診される境界性人格障害

また治療者への陽性転移,これに引き続く陰性転移において,気分の高揚,または落ち込みといった気分変動が交互に出現することがある。
そうした場合,治療者は転移現象が意味していることについて全く理解せず,双極性障害と診断し,薬物療法一辺倒の治療を試みることがありうる。

このように,境界性人格障害における転移下の気分変動を真正の気分障害と誤診してしまうことにも十分な注意が必要であろう。
たしかに,この気分変動はDSM-IV-TRに照らせば気分障害と操作的に診断される可能性があるが,治療において両者は区別されるべきである。

おわりに
近年,双極性障害が境界性人格障害か,あるいは両者の合併かと議論されるケースが増えた印象がある。
臨床上は感情不安定性や衝動性の背後に双極性障害が潜在する可能性を絶えず念頭に置いて治療していく必要があろう。
ようするに,

(1) 双極性障害と境界性人格障害の鑑別は難しい。
(2) 双極性障害を境界性人格障害と誤診すると,精神療法に傾きがちで,必要な薬物療法を施すことができない。
(3) 境界性人格障害を双極性障害と誤診すると,薬物療法に傾きがちで,必要な精神療法を施すことができない。

2011-06-25 02:50