暑いので扇風機をずっと回していた
体力消耗した
冷蔵庫にキャベツがずっとあって気になっていたけれど
一日延ばしにしていた
今日やっと食べ始めた
かじると甘い独特のキャベツの味がする
雨の降る日は仕事もせずにキャベツばかりをかじってた
という古い歌のフレーズを思い出した
ほんと、たまにはすべてから解放されて休みたい
女にかわいがられる猫のような存在になってみたい
同じ歌のフレーズに
生きてることはただそれだけで悲しいことだと知りました
とある
悲しいのかな
ーー
人生は悲しい
それは真実だと思う
しかしそれだけではない
祝祭劇場で悲劇が上演される
たとえばエディプスの物語
ギリシャ悲劇である
運命と人間の抗争
しかしその抗争を含めてすべては運命なのである
メタ運命
その場合、その劇を悲劇であると認知するか、祝祭劇であると認知するかは、ずいぶん違う
たぶん、圧倒的に、人生は祝祭劇場で演じられる祝祭劇である
たしかに、そこで演じられるのは悲劇のこともある、いや、概ね悲劇であり、むしろ悲劇がふさわしい
内容を言えば悲劇であるが、それは一つの祝祭であるというメタ認知が成立する
それが人生である
ーー
祝祭、フェスティバルは
人間が人間であることを精錬する
男は真の男になり、女は真の女になり、男も女も花開く
それを考えると六本木の夜は祝祭劇場である
痛くてもメタ快感、悲しくてもメタ幸福
歌舞伎役者と元プロ野球選手が
気仙沼から来た女を間にして睨み合っている
その緊張のエネルギーに酔う