アセスメントおよびケース・フォーミュレーション

アセスメントやケース・フォーミュレーションと言う場合

やはり危うさをいつも感じている
共通の手順として
これこれの定義であるから
このように判断する
という形式の判断とは少し違う
もともとそのように再現性があり追試可能で誰にも実行可能であるならば
自然科学の領域に近いのだけれども
そういうものでもないとなればやはりアートの領域であって
アートの人たちは
そのような判断をどれだけ共有しているか
共有の基準や根拠は何かとなれば
やはり危ういのである
しかしそのような留保をきちんと付けつつ
それでもやはりアートとしてのアセスメントやケース・フォーミュレーションはあるのであって
否定するものでもない
むしろ高次元のものとして感嘆するのであるが
考えてみると、そのように安定して判断しているということは
純粋に自然科学の領域に属するような固い診断基準が内部に埋もれている感覚はある
ーー
個人的には、測定問題に還元されるだろうと考えている
現状では虹の色は何色なのかと論じたり
赤とか青とか表現したりしているのであって
いつか『波長いくつの光』と言う時代が来る
それまで必死に測定することを考えたらいいのだと思う