5月の風の気持ちの良い日
けやき坂ベーカリーでランチを食べたい
テラス席で日陰の涼しさを味わっていたい
昔、この場所で痩せた女と食べたことがある
こんどもまた痩せた女だ
本上まなみのような、というほど美人ではないが、存在感の薄い女
控えめであることをよく教育された女
熊田曜子のように存在感のくっきりした女が望ましいと
思うこともしばしばなのであるが
なぜだか存在感の薄い女が
回ってくる
六本木ヒルズのあたりを歩いている女性を見ると
あまり痩せていない
むしろ太っているし
通りかかる白人女性はもっと太っている
骨から太い
子供を連れて通り過ぎる母親たちもすでにエロスへの参加の権利を捨てているようだ
母親なのにエロティックであることは慎みがないらしい
そんな精神分析の本を夕べ読んでいた
むしろ男達は痩せていると思う
この違いはなんだろう
女性には淘汰圧が加わらず
男性にはセレクションが厳しく効いている
そういう事だろうか
女たちは血統のいい太った女とすれば説明はできる
そうかもしれない
そうでないかもしれない
子供たちがシャボン玉で遊んでいる
隣に座っていた年配のご婦人が
シャボン玉が飛んで来るのではテラス席に居たくないと言い出して
お店に座席の変更をお願いする
店員はお席の変更はできませんと明確に断る
年配婦人は黙る
しばらくして別の店員が来たので
再び座席の移動を要求する
今度は聞き入れられる
年配婦人は「さっきは断られましたのよ」と不満を漏らす
「さきほどは、別にお待ちのお客様がいらしたんですよ。いまなら大丈夫です」と
見事な対応を見せる
嘘だけれど
シャボン玉は風に飛んでいる
心配なのはシャボン玉ではなくて黄砂と放射能だろうと思うのだが
年令によって自ずと関心も違うものなのだろう
お店のパンは食べ放題になっているので
どんどん持ってきてくれる
女のササミだけのような体が
笑ったり拒否したりしている
パンは柔らかいので食べやすくてどんどん食べた
もうお腹いっぱいになったので家に買って帰る気分でもなくなった
おばあちゃまは美人よねえとお世辞がこきえる
年配婦人は「私が美人ならブスはひとりもいないわよ」などと
大きな声でいう
そういう話ではないのだけれど
まあ、とりあえずそれでいいのだろう、長年のいつもどおりのキャッチボールのようだった
そんなことにも女は何のコメントもなくただ控えめである
静かに空気のように寄り添うことをしつけられた階層
それでいいのかもしれない
あるいはそれはよくないのかもしれない