うつ病は局在性か非局在性か、からDAM理論へ

うつ病は局在性か非局在性か

という問いを立ててみる
局在性であれば
脳画像診断でなにかつかまる
また脳血管障害、てんかん、脳外傷などで
場所と症状の対応を突き止めることができる
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昔からうつ病・躁うつ病と対比されてきたシゾフレニーに関しては
局在性は明確ではないものの
幻聴の発生する部位はどこかがペンフィールドなどによって明らかにされたし
そのほかには幻視や幻嗅の場所が分かっている
あるいはてんかんの精神運動発作psychomotor seizureの場合に幻聴を体験したりもする
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ところがうつ病に関しては局在性がつかめない
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また一方の話題としては躁うつ病とうつ病の関係がある
双極性と単極性と表現したりもする
躁うつ病の一時期だけを見ればうつ病なのであるが
経過の全体を見れば躁うつ病であるなどと言われたりする
あるいはそうではなくて、早期に躁うつ病だと診断する方法がありそうだと話題になったりする
そのようなうつ病は躁うつ病の部分症状としてのうつ病であって
単極性うつ病とは別のものだと言われたりする
私の説では、これは古くからある説なのであるが、
うつ病というものは単独では存在せずに、必ず躁うつ病なのであるという考えになる
躁状態の観察ができない場合があるし
時代や地域によっては躁状態と認知しないだけで実質は躁状態の場合がある
あるいは症状の遷移が急速である場合、
確認できない場合がある
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なんていう話を前置きとして
このあたりを眺めてもらえば私のいいたいことが
分かりやすくなるのかもしれない
アキスカルの分類にしてもメカニズムの説明がないのだからどうしようもない
その説明の一つの類型として
こんな話を出してあるということだ
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そもそも、うつ病のメカニズムを提案するとして、
うつ病とは何であるか、何と何を説明すればメカニズムとして必要十分であるのかが分からない
そのような中で何かを提案するのは無謀である
しかし命が永遠であるわけもないので
とりあえず提案するわけだ
人間の体験は限定的で有限で偶然であるから
うつ病の実態がどのようなものであるかについては
学者や治療者によって異なったものになる
うつ病という全体集合があるとして
いつでもその部分集合について論じているはずであり
部分集合についての理論ということにならざるを得ない
しかし
提案された理論について検証することはできるはずで
ポパーのいう反証可能性の理論などになる
反証されたとして全面的に廃棄する必要もなくて
適用場面を限定すれば有用な考えかもしれないのである
数列1.1.2.3.5.8.と提示したとして、
その規則は実は無限にある
しかしそうは言わずに、たいていは差分を考えて、というような標準的な手順を踏む
多分それでいいのだろうと思う
とりあえず見える範囲のことがうまく説明されればそれで良いと割り切る
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躁うつ病とうつ病の違いの他には気分変調症(ディスチミア)や抑うつ神経症などの類型の説明が必要であるし
統合失調症の場合のうつ症状についてもメカニズムの説明が必要である
私の理論では
気分変調症の場合にはDam型の神経細胞分布をしているはずである
強迫性障害CODの場合にはdAm型
躁うつ病の場合にはdaM型
うつ病というものはdaM→dam(相対的にd>a,m)の場合
dAm→dam(相対的にd>a,m)の場合
に相当する
Dam型の場合にはうつ病になるとダブル・デプレッションと呼ばれるのであるが
damからDamに連続分布する中での話になると思う
この理論では
アキスカル型の連続するスペクトラム型現象を説明できるし
病前性格との関係が説明できるし
強迫性障害や統合失調症などの類縁疾患との関係が説明できる
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もともとDAM理論はセロトニン仮説などが言われる以前から考えていたもので
セロトニン仮説やノルアドレナリン仮説が言われている頃は
肩身が狭かったのだけれど
最近で言えば
双極性障害の問題が全面に出て
薬剤としてもリチウムや気分安定薬としててんかん系の薬剤をうまく使うことが提唱されており
なんだか順風に吹かれている感じはする