ただ生きるために意味の真空を生きている

ただ生きるために意味の真空を生きている

そのことはアクセプタンスとコミットメントによく一致している
まず
意味が真空であることの是か非かを問わない
ただ心を静かにして見つめれば
意味は真空であることが納得出来る
意味が真空であることを語るとき真空は破れている
それが是であるか否であるか
そこから先は信念の問題だと思う
意味の真空をどう生きるべきであるか
たぶん
ただ生きるために生きるということになるだろう
そのことを本当に納得して生きるなら
それがコミットメントなのだろう
パスカルのように暫定的に意味を仮定してもよいし
ラッセルのように暫定的な仮定も拒否してもよい
両者とも偉大であったのは
それが暫定的なことであるとメタレベルで認知していた点であり
さらに暫定的であるとしても受け入れて自分の責任で生きる道を選択したことだろう
他人のせいにすれば一時の慰めにはなるだろう
しかし人生の時間は元に戻らない
人生の時間という極上の滴を他人に委ねる気分にはなれない
ーー
けやき坂ベーカリーのテラス席で
パンが食べ放題だったので
私は素直に無心に食べ続けていたのだった
そして子どもは懸命にシャボン玉を飛ばし続けていた
なぜシャボン玉程度のものにそんなにも無心になれるのかと
私は心を奪われた
人間を観察して解釈する習性は仕方がないが
子供は嬉々としてシャボン玉を吹き続けているのであって
どんな解釈も拒絶しているかのようである
その時の5月の風を味わい
大理石の床の感じを味わい
ヒルズの大理石は目に涼しい
パンと人々のざわめきと目の前の女の特有なある感じを味わい
そのようにして私は一瞬を一瞬のままに生きていた
未来を生きているのでも過去を生きているのでもなかった
たぶん、その時私は健康で、周囲は安全で、温かく日差しに満ちて、
食欲は満たされ、睡眠も満たされ、性欲も満足され、社会的にも肯定され、
未来への展望も程良く開けている
マズローの言う幸せを生きていたのだと思う
その瞬間は幸福だという反省も内省もなかった
しみじみとこみ上げるものなどという
意識の働きもなかった
ただ単に程良く満たされて、パンの味わいとシャボン玉の動きに心は占領され、そして
シャボン玉がいま15個!などと
野鳥の会の人のように話している女の薄い薄い静脈
そんな心の手触り