江戸時代に鎖国になっていたのだが
新しい科学や医学は結局オランダ語などを学んだ人が日本に移入した
長崎でカステラを食べながら
当時、鎖国していたので
鎖国を合理的に破ることで大きな利益が生まれた
越後屋はお代官とご禁制の品を抜荷しているのではなかったか
日常会話は知能に関係なく誰でも話しているものなのだから
「鎖国」をやめればいいだけの話だ
国家が許可した一部の人にだけ鎖国破りを許す
そして異国のありがたい高級文化の紹介屋になってもらう
国家権力というものがそういうところに浪費されているようにみえてならないが
私はもう人生を終わっているのでどうでもいい感じがする
国家の基本設計をプランして実行する人たちは
引退した人たちではなくてまさに現役の人たちであるから
国家のプランは、そのまま、自分たちの人生のプランでもある
少しだけ歪むのもやむを得ない
日本語の環境そのものが「鎖国」
そして今後、日本人は半減、外国語としての日本語を話す人が溢れるのだろう
少ない言葉でツーカーとはいかない