逆の逆

不穏な話なので話半分で聞いて欲しいのだけれど

物の価値というものはたいてい複数の人が欲しがることから生じている
コマーシャルはたくさんの人の欲望を掘り起こすことから価値を創造している
いい女というものは定義から複数の男が欲しがるものである
だから価値がある
価値あるものを所有することが権力である
暴力や知力を使って支配する
支配の具体的な形は売春である
これは直接の性的なサービスになるのだが
特段性的サービスでなくても
料理を作るのでもいいし
川から水を運ぶのでもいいし
老人を介護するのでもいい
同じサービスなら美人がいいと普通思うだろう
ーーー
さて、支配者は幸福かといえば
鈍感な支配者が幸福なだけである
普通の神経をしている支配者は自分の支配下にある人間を管理することに疲れ果てる
現代とは違い
全員を常時監視することは困難だろう
目を盗んでいい女に手を出す男が絶対にいる
さらに難しいのが女にしても意志があるということだ
誰の子供なのか女だけが知っている
こんなことがサル山の観察から言われて
それを人間社会にどの程度まで応用できるのか
大変怪しいと言われながらもなんとなく納得しつつ
現代に至る
暴力的な支配者に泣かされながら
陰で悪口を言いつつ
隙があれば女を奪い
女もそれなりに意地を通したりする
そこから先は、実は、という話がいくらも出てきて
何度も逆転が起こる
誰が支配者で誰が得をして誰が幸せなのか
ほどんど分からなくなる
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女が暴力に支配されているというのも一面的な見方で
暴力装置を利用しているのもまた女なのだと思う
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近くて遠いかの国の報道に接すると
何が幸せなのか、なぜかくっきりとあぶり出される気がする
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こんなことを東京で放射能ホットスポットの報道を聞き、降る雨を眺めながら考えている
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報道がいうところによれば、ある地域では、食品の放射能汚染を恐れて
学校給食を拒否して、自分の弁当を食べてもいい制度としているのだそうだ
これはどうかなあと思う
自分の子どもが食べなければいい
よその子どもが食べても食べなくても自由だ
というのだろうか
それは価値観の問題とか、自由の問題ではなく
無知の問題だと思わないのだろうか
無知がかわいそうと思うならば別の行動がありそうである
あるいは大変綿密に情報を共有した後に価値観の違いによって選択が別れたということなのだろうか
無知の問題ではないとしたら何の問題なのだろうか
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オリンピックのマラソン内定者が雨にぬれて走る練習をしていた
アナウンサーも一緒に走っていた
何の意味があるのか分からないが
この時期に雨にぬれて走る企画はいじめだと思う