妄想型シゾフレニー・ナッシュ

天才ナッシュが妄想型シゾフレニー

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このことを喩え話で説明したいのだけれど
脳の中の秩序Aが
自然の本質的秩序Xに
一致するときナッシュのような天才が発生する
たいていの秀才は
自然の見かけの秩序Yに
脳の中の秩序Bを調整してあわせている
天才の秩序Aは調整するでもないし学ぶものでもない
生得的にAである
Bを調整してY
に合わせるだけでもまれな才能である
そしてXよりもYに合わせてもらうのが権力者としては都合が良いので
AよりもBを尊重するのである
変な法律とか変な選挙区割とか書き換えられた変な歴史とかがYであり
そんなものを学んで身につける人がBである
Yの奥にある本質的秩序Xと一致してしまう脳内秩序Aを持ってしまった人は天才であるが
それが社会にとって有用であるとも限らない
たいていは邪魔である
AとBの違いは
調整する力でもある
YがY'になればBはB'に調整するのである
それが調整する力である
ところがAは先天的にAなのであってその秩序は変えようがないので
否応なしにいつまでもAである
またXもX'などという変化の可能性はないのである
XとAの一致は全く偶然でしかない
A'になっていればそれは調整不可能なもので
われわれはそれを妄想と呼んでいる
妄想性シゾフレニーに特徴的に見られる
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つまり世界の法則の変化にフレクシブルに対応できるBはやはり世界にとって有用である
Aは先天的にAなのであって
それが偶然Xと一致しているから価値がある
Aが目前の見かけの世界Yに一致させようとして調整してもそれはBになるだけである
世間的な成功には近いだろうが
本質的秩序Xには遠くなる
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話を変えると
たとえば歴史学で
歴史のトリビアを記載して、最初に何をした人の名前は何とか、そんなことを歴史と思っている人もいる
また
そんなことは偶然に属することで、むしろ、大切なのは、
歴史の運動・展開を法則として記述できないか、そしてその延長で未来を予言できないか試みる人もいる
歴史に対しての関心の持ち方がかなり異なる
普段付き合う人間が一般の大衆であれば
たぶん、トリビア的知識の方で充分である
一般大衆がその人について頭がいいと評価するのは
一般大衆にも理解可能で判定可能な領域の脳の働きに限られる