各種心理療法使い分けの技法の模索・・・現在の課題

鍋田先生とか福島哲夫先生が心理療法の各種技法の使い分けとか折衷とかいろいろに論じている
たしかにこれまでの状況としてはロジャースと認知療法と行動療法と対人関係療法と社会リズム療法と解決志向短期療法とが同じ施設で対話しつつ治療に当たるということは考えにくかった
一人の人間の中で複数の技法を使い分けること自体が混乱を生むしあれこれの弊害も確かにある
公文式みたいなものでひとつの技法に充分習熟してそのあと、自分が次にどちらに向かうか考えたほうがいい
しかしながら各技法は治療者の一生を捧げるに充分なだけの奥深さを備えているものであってそろそろ次の何か、というものでもない
そうはいいながら、たとえばがんの治療にあたり外科的治療、放射線、化学療法、免疫賦活、そのたいろいろな方法があってそれらは必ずしも排他的でもなので併用を論じたりある時期まではどの治療法が適切でその後はどの治療法が適切でなどと論じることができる
どのような相談者に対してどのような心理療法が良いのかについてはやはり検討が必要だろう
当施設には認知療法、行動療法、ACT、対人関係療法、社会リズム療法、解決志向短期療法、ロジャース的来談者中心療法、ユング的療法、フロイト的精神分析療法など、各領域の専門家、またはその専門家のもとで学びつつある人が集まっている
私の立場としては、患者さんの話を聞いて、インスピレーションがわけば、どれかの領域の心理療法の専門家にオーダーしているのだが、当然のこととして、その決断を正しく迅速に行うノウハウを考えるようになる
福島哲夫先生の論文の中では、「個人」が各種の技法を融合し折衷するとの意味で語られていると思うが当施設ではどの心理療法の専門家にカウンセリングをオーダーすればよいかという、もうすこし差し迫った、現実的で、具体的な状況になっている
現在学びつつある人はあまり周囲に影響される必要はないと思う浅学のうちにあまりに折衷的になるのもおすすめではない
しかしながら初診から数回のうちに事情を汲み取りどのような心理療法が適切であるかを判定する必要がある
あるいは現実的にさらに必要なのは技法との適合性よりも人柄としての適合性かもしれないのだしそれは古くからある問題であるがよく考えてみると、そのような人柄の人がそのような心理療法を学ぶという側面もあるのであってまた、現実にはそのような人柄の人がある心理療法を担当しているのであってそのことを考慮してオーダーを決定するわけだ
個人的な感想としては福島先生の提案している、洞察・気づきと行動変容の二軸で4つのタイプを分ける方法は斬新であるし、ある種の説得力はあると思うのだけれど、私個人の臨床の場合にぴったりするとも思えない部分がある
そもそもをいえば4つの分類をしたとして各種の心理療法がどの位置に分類されるのかについて当方の勉強不足はあるとしても、意見の相違があるのであって、そのあたりからして容易ではない
それはひとつには、上に記したように、当施設の現実として、ある特定の心理療法を担当するのはこの人、そしてその人の人柄・個性はこういうあたりという前提があるのであって、心理療法と、その担当者の人柄とを、無限のバリエーションで考えることはできない抽象的にどれかの療法が良いのではなく具体的にどの治療者の療法が適しているかの判断であるということだ
そもそも診断というものが予後の予測と治療の合理的選択を、部分的にせよ、含んでいるものであるから誰にどのようなカウンセリングをオーダーするかの判断は広い意味での診断作業であるここの事情を単純化して、診断名と治療技法を結合させるとすればやはりさらに一考を要する局面であろうと考えられる
様々な技法が、各種の病態に対して、どのように対処できるかを考え続けているしどちらかと言えば、限定するのではなく、拡張する方向でトライを続けているたとえば認知療法は統合失調症に対しての拡張を試みているわけだし対人関係療法でも適応は拡張しつつある現実がある
適応拡張の局面で融合的になり折衷的になる傾向は当然現れるのだがそうなると効果判定が困難になるそうでなくても、治療要因は何であったか、さまざまに問題はある上に、そのような問題も起こるわけだ
流派の純化と総合化はいつでも二つの傾向として内在している純化の動力がなくなれば多分総合化してうすく分散してゆくだろう
たとえば神田橋的という言葉で何かを指し示すことができるのかどうか各論者によって意見が異なるだろう
ーーーいろいろと書いたが当施設の現状として、利用可能なリソースは各種あり、別段喧嘩しているわけでも癒着しているわけでもないので、合理的な判断を下したいのだけれど、意見を聞いていれば、各流派でいいことばかりを言うので、さて、現実に、どのように判定したら良いのだろうかという問題に直面している
ーーー各種技法をどの局面で使うかというメタ技法が求められている
ーーー昔はたとえば精神分析は何病には禁忌とか言われたりしてしかしそこにチャレンジして拡張したと言ったりその拡張は精神分析とは言えないと言ったり何でもいいから治るのかどうかだけ教えてくれと言ったりだから素人は困ると言ったり昔はそんなふうだったのだろうと想像する
いまは、この患者さんは誰にお願いすれば良いのか考える必要がある