浮気について

  男女の脳の機能・反応性の違いを調べている時に、幾つかの(役には立たないけれども)面白い研究を見つけました。
  「浮気」行動についてです。まず「浮気」の発生頻度や「生涯有病率」がどの程度あるのか?という問題は、なかなか正確な調査がなさそうでした。「浮気をしていますか?」「したことがありますか?」といったアンケートを実施したところで、被験者は「社会的に見て好ましいsocially desiable回答」をしてしまう可能性が高く、実際に「対面法」で調査すると1年間の「浮気しました」率が2%程度だったのが、コンピューター入力方式にすると6%にまで上昇したという報告もありました。
  さらに、男性は女性の「身体の浮気」をより気にする傾向があり、女性は男性の「心の浮気」をより気にする傾向がある、という報告が多いのです。
  さらに、男性の場合「配偶者の浮気を怒る」感情(嫉妬心)が容易に攻撃性・暴力行為に結びつくように、脳の活動性が関連していることが示されています。
   ところで、なぜ男性は妻の「身体の浮気」を嫌がり、女性は夫の「心の浮気」を嫌がるのでしょうか? そして、なぜ男性では暴力に結びつきやすいのでしょうか?
  「浮気行動」の発生頻度がどの程度あるのか、上記の事情もあって、さっぱり分からないのではありますが、例えば、男女ともにそれが年間有病率6%~10%程度だったとします。これは無視できない数字です。「浮気」の問題は原始時代からずっと問題だったでしょう。男性には妻が実は別の男性の子どもを妊娠しているかもしれない不安があったでしょうし、女性には夫がいつ別の女性と別の家族をつくって出ていってしまうかわからない不安があったでしょう。特に原始時代にはDNA鑑定も血液型さえなかったですから父親としては自分の子どもが本当に自分の子どもかどうか分かる術もないですし、家庭裁判所も養育費の義務もなかったでしょうから母親も大変だったでしょう。つまり、男も女も「相手が浮気しましたか、はあ、そうですか」では済まないわけで、何らかの阻止行動パターンを持っていないとまずかったのでしょう。
  つまり「利己的な遺伝子」の論法で、自分の遺伝子の継承という視点から見ると、原始時代からの「浮気行動」の脅威は、男性では妻に「身体の浮気」をされることであり、女性には夫に「心の浮気」をされることだったのだろうと考えられるのです。
  つまり、男性では妻が「身体の浮気」をすることで他人の子どもを妊娠・出産してしまっても、そうとは知らずに「カッコウの托卵」のように、他人の遺伝子の繁栄のために自分の労力を犠牲にすることになり、遺伝子の繁栄的には大変不利になりますから、これは絶対に防がなくてはいけないわけです。自分が他人の子どもの「托卵」をさせられていると知ったら、妻に対する暴力・攻撃行動に出て追い出してしまった方が、そしてその後で新しいパートナーを迎え入れた方が、自己の遺伝子の繁栄といった視点からすると有利だったのでしょう。逆に言うと、妻の「身体の浮気」に対して寛大な男性は、托卵のお世話をするだけで自分の遺伝子を残すことがうまくゆかず、結局そのような行動パターンを持つ遺伝子は淘汰されることになってしまったのでしょう。
  一方で女性では、夫が「心の浮気」をすることで、別の女性とその子どもの方がより大切になってしまい、最終的に別の女性の子どもの養育行動に出ていってしまっては絶対に困るわけです。しかし夫が「身体の浮気」をして別の夫婦のところに「托卵」したところで、自己の遺伝子の繁栄的にはあまり困らないわけです。逆に言うと、夫が「身体の浮気」をしたからと言って暴力的に騒ぎ夫を追い出してしまうような行動パターンを持っていたら、厳しい生存環境であったであろう原始時代を生き抜けなかったでしょうから、そのような遺伝子は淘汰されてしまったのでしょう。夫の「心の浮気」に対する敏感さの足りない女性もまた生き延びにくかったでしょう。
  つまり、男性の場合は妻の「身体の浮気」に対して強い警戒心を持ち、もし本当に「身体の浮気」をしてしまったら強い怒りと暴力的攻撃行動によって追い出してしまう、という行動パターンを持っている遺伝子の方が生存競争上有利に働いたのでしょう。
  同様に女性の場合は、夫の「心の浮気」に対して常に強い警戒心を持ち、対処行動を怠らないような行動パターンを持っている遺伝子の方が有利に働いた・・・、ということだったのかもしれません。
  こうやって考えると、当たり前の話ではあるのですが、夫婦なんてしょせん遺伝子的にはアカの他人なんですよね。・・・当たり前の話です
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というような話なのであるが
現実問題を考えてみると
浮気相手とか他人の子どもとかいうのは
源氏物語でも描かれているように
結局身内である場合が多いのだろう
身内の方が圧倒的に接触が多くて機会が多い
義理の父、弟、息子などである
その場合は遺伝子としては似ているわけなので
托卵されたとしても怒らずに育てたほうが
「利己的遺伝子」としては生存率を高めることができるわけだ
お互いに似たように遺伝子なのだから
兄が弟の嫁と仲良くなると同じ程度に弟は兄の嫁と仲良くなるはずだろう
義理の父や義理の息子は同居が普通である点からも
さらに確率としては高まることになるだろう
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日本の昔の村落を考えてみると
いろいろあって多分、遺伝子の構成としてはかなり均一になっていて
誰がどのように浮気しても
「村の子ども」でいい状態になっていたのではないかとも考えられる
恋愛というイデオロギーが浸透したのは映画とかテレビの浸透と同程度なのではないかと思う
避妊の知識もなかっただろうし
村祭りはそういう機会だったのだろうし
土台、乗り物がなかったので、全く知らない人に会うということが少なかったはず
歩ける範囲に存在する人たちはほぼ全部遺伝子としては親類という感じ
それでは発展性がないので旅に出たりするわけだ
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だいたい性的場面では慣れ親しんだものよりも新しい刺激を好むように出来ているわけだし
新奇性の追求と性的好奇心とがリンクしているはず
慣れ親しんだ景色よりも旅先での景色が感興をそそるものだ
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そんな人達の子孫である我々
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聞いた話だと、旅人が宿を求めて戸を叩いたとする
招き入れて食事と布団を用意する
で、ついでに、うちの妻は何と言ってとりえもありませんが、よろしければ、と添い寝させる
一年後に子どもが生まれたりすると
その子はとても賢い子だったりする
なんていう話もあるそうだ
その他、夜這いの習慣