現実に適応する

私としてはこの(一見)くだらない現実に「適応する」ことに何の意味があるのかについては全く(ではないとしても、かなり)否定的である
しかし職業としては適応を改善するとか回復するとか言っている
それ以上のことはできないしそれが出来ればずいぶんと成功なので、そうしている
とりあえず仕事があって家庭があれば何も言うことはない儲けなくていいし、たいして幸せでなくてもいい
ーー後輩と話していて男女の適応力の違いについて意見を聞いた
男であるほど、年齢が上であるほど、社会・経済階層が上であるほど、自分を変えられないむしろ逆の場合に自分を変えることができる
だから人間は年下女性の階急上昇的・玉の輿的・嫁入り結婚が適している
年をとってから自分を変えるのはいかにも苦痛である
プライドがあればなおさら苦痛である
向上心がないわけではないのだが自分の領域内での向上があるだけである
そこから一歩を踏み出さないのは安全路線でもあるし臆病でもあるだろう
頑固一徹で問題はないがそれ以上ではないしかし年をとってからのチャレンジは奇異に映るしうまくいかなければ批判も厳しい
その理想を共有できる人間に恵まれれば幸いである
それ以上の高度な適応力を持っていたとしても周囲の理解がなければ長続きしない人とか言われておしまいだ
結果として臆病になる
ーー自分をどんどん変えていく猿が人間になったのだからこれからもどんどん変えてどんどん失敗もするだろう
しかしまあ、それだけのことでそのあたりで価値判断をする必要もないと思う
遺伝子レベルで多様性を保持することが集団としては有利なのでそのような遺伝子が残るだけだ
自分がその中のどのあたりの個体であるかはあまり気にしなくていいだろうと思う
プロ野球の選手が優秀なのは野球というルールがあるからだ特殊なルールに依存しているどんなルールでも一流選手になれると決まっているわけではない
内野ゴロを安打にできないからと言ってなにもくやしがる必要もない現在の制度では給料が安いだけである
松井よりもイチローが大リーグに向いていたことは確かだと思うがそれだけのことだ
飛ぶボール、飛ばないボール、フェンスまでの距離、フェンスの高さ、ストライクとボールの判定など微調整できる部分は多いピッチャーとホームベースまでの距離は一定としても、マウンドの高さなどはまだまだ任意らしい
最近の野球選手はお相撲さんのように太くなり、テレビから消えつつある
この現実への不適応を嘆き自分を全面的に変えてしまいたいと語り実際にはその主張を全く変えない人間がいるものだが変わりたくないと抵抗しているだけだし別に変わらなくても誰も困らないのである
環境が一定ならば頑固でもいいのである最近の人類は自分で創り出した環境に適応できないと慌てている
たぶん、人類の99%が適応できなくても、残りの1%が適応すればいいのだしそんなにがっかりする必要はない
人間が何かをしでかして環境が大きく変わってしまったとしてもその特殊な環境に適応する部分はあるのだろうと思う
放射能や温暖化や、逆に氷河期に向かうこととか、そんな大きなことでなくても、携帯を一日も忘れられない暮らしなどわれわれ高齢者から見れば心配にはなるが何とかやって行くだろう
ーーー男性のほうが変わりにくいとしてもそのような男性を育てたのは女性なのであるから責任の一部はやはり女性にもあるのだと思う
母親の代理プライドのように生きている男性もいるものである自分を変えたことの怨念が息子にこもる
その状況に『嫁』として存在することは多面的に困難だと思う
ーーだからちっょとだけ一息ついて急がないでいきましょうよ
なんでも完全に相対化すればいいというものでもないがたまには銀河系の外側くらいから自分を見つめてみましょうよ
宇宙の歴史はたとえば140億年とかいうんですがその歴史の外側ってどうなんだろうかとか思うとまあ、急がなくてもいいなぁと思う
宇宙全体が「膨張」しているとして膨張というのは何かいかにも端っこがありそうでそれならば、うっかり「外側」に腕を差し出したらどうなるのかなんて思ってみる
外側という概念がまずいらしくてそのように構造化された脳ではうまくないらしいです140億光年規模で考えると
そう思ってみると我々の想定している「現実」というのはいかにも人間じみた規模の現実なんです
なんというのかいつまでたってもヒーローは徳川家康とか物事にバリエーションがあっても3種類だけとかそんなこぢんまりした感じ
私はなぜ家康みたいになれないのかなんて問うほうがそもそも意味が分からない(まあ、充分分かるけれどね)
誰かが家康みたいになっているんだからそれでいいじゃないの